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第三回
「マダゴキとの優雅な生活」

 マダゴキってなあに? それはマダガスカルゴキブリの愛称である。しょっぱなからゴキブリかい、というのが大方の反応にちがいない。名前を聞くのも汚らわしい存在なのに、優雅な生活とはなにごとか、しかも愛称で呼ぶとは、と怪訝に思われてもしかたない。しかも昆虫食のコラムだというのに、謎は深まるばかり……。ゴキブリほど誰からも愛されない昆虫はいない(「そんなの関係ねえ!」とかれらは言うに違いないけれど)。なぜか?

 第一にはやはり不衛生の権化(とりわけ衛生過剰な我が国のお母さんたちにとっては)ということだろうか。彼らは病原菌の運び屋サンである。そんな悪党にサン付けはなかろうとお叱りを受けそうだ。あえて弁護をさせてもらえば、彼らはクロネコちゃんみたいに商売で運んでいるわけではない。生きるためには汚い世界にも足を踏み入れざるをえず、そこでたまたまバイキンを体にくっつけてしまうのだ。つまり根っからの悪党ではないのである。

 第二に外見と動きである。体は脂ぎって黒く光り、脚は毛深く、スッスッスッと素早く物かげに隠れ、しかも飛ぶではないか。もしかしたら最悪こちらの顔に体当たり攻撃をするかもしれない。ゴキブリにはそういうイメージがつきまとう。

 しかしである。そうした見方はあくまで人間の都合によるものではないか。ゴキブリは3億年前から地球の住人である。人類はたかだか700万年前である。したがってゴキブリは人類の大大大(と大をいくつつけても足りないような)先輩なのである。超新参者の人類が威張りまくっているのがご時世だから、被害者はゴキブリに限らないけれど、ゴキブリほど偏見によって忌み嫌われている生き物はいない。

 ここでマダガスカルゴキブリにさっそうと登場していただこう。マダガスカルゴキブリと総称されるのはオオゴキブリ科ハイイロゴキブリ亜科に属する一群で、その名の通りアフリカのマダガスカル島が原産である。「さっそうと登場」と書いたが、マダゴキには翅がなく、しかも動作がきわめて緩慢である。ドン臭いのである。われわれがもっているゴキブリのイメージからかけ離れている。日本ではペットの餌として売られているが、外国ではペットそのものとして飼育されてもいるという。実物を見るとそれもおおいにうなずけるのである。手に乗せると逃げるどころか逆にじっと動かなくなることが多い。アフリカ原産なだけに、人肌のぬくもりが心地良いのかもしれないと勝手に想像すると愛着がわく。これだとカブトやクワガタとなんら変わらないではないか。興奮するとシューシュー鳴くのも愛嬌である。発声法は違うがカミキリムシの鳴き声を連想させる。日本人はゴキブリというとクロゴキブリやチャバネゴキブリのイメージしか浮かばないが、国際化が叫ばれて久しいいま、もっと海外に目を転じてみると、ゴキブリの多様性(約5千種を数える)が理解されるであろう。害虫とされるゴキブリはなんと全体の1パーセントにすぎない。残るほとんどの種は森林に暮らす生態系の有用な一員である。

 ここまでくると、われわれがゴキブリを嫌う二つの理由がマダゴキには当てはまらないことがわかっていただけたかと思う。家屋内を徘徊しないし、無翅だし、歩きはノロノロである。そうした予備知識を頭においていただいたところで、さて本題の食べる話に移る。

 食用ゴキブリと称して筆者が室内で飼育しているのは、マダガスカルゴキブリ、ヨコジママダガスカルゴキブリ、アルゼンチンモリゴキブリ(デュビア)、レッドコックローチ、オオゴキブリの5種類である。ゴキブリは累代飼育が割合かんたんで、なかでもマダガスカルゴキブリは大型で可食部が多い。開腹すると白い豆腐状の身がつまっていて、その主成分は脂肪、グリコーゲン、タンパク質である。これを脂肪体といい、飢餓に強いのはこの脂肪体のおかげである。食用昆虫の飼育実験として最適な理由の一つがここにある。

 さらに理由の二つ目としてゴキブリの集合性が挙げられる。ゴキブリは集まって生活する昆虫であり、そのほうが成育速度がはやい。ある実験によると単独飼育での幼虫期間64日に対し、複数飼育では57日前後と短い。たとえばコオロギなどは狭いところで飼育すると雄通しがなわばり争いをする。ゴキブリは狭いところで効率的に飼えるのである。

 もう一つの理由として、マダゴキは卵胎生であるということが挙げられる。つまりお母さんのお腹の中で孵化して赤ちゃんとして生 まれてくる。だから生存確率が非常に高い。

 さらに雑食性というのもポイントである。昆虫は偏食が多く食草・食樹の入手に苦労することがよくある。残り物が餌になる利点は大きい。

 こうしてみてくると、ゴキブリは食糧資源としての諸条件にきわめて恵まれている。筆者などには新鮮な食材が身近にあるという安心感のようなものがある。これは本能的な快感につながる「優雅な生活」といえないだろうか。

 さあ残るは実践あるのみである。偏見を拭い、マダゴキ料理がならんだテーブルにご着席願いたい。

参考文献
石井象二郎(1976年):『ゴキブリの話』、北隆館。
鈴木知之(2005年):『ゴキブリだもん』、幻冬舎。

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